―――戦艦エルピス
怪物、人外、悪魔。およそ人とは思えない超越した者に対して、人々がそのようであると語る言葉は数多にも及ぶ。それは主に見た目を指すものではなく、その者の実力が異様である時に使われる事が多いだろう。S級冒険者であるケルヴィンやシルヴィア、獣王レオンハルトだってそうだ。彼らは標準的な冒険者からしてみれば、人外の強さであるとしか言いようがない。
しかし、現在において舞桜が対峙しているS級冒険者、桃鬼のゴルディアーナ・プリティアーナはその範疇さえをも大きく逸脱していた。実力はさることながら、容姿までもが人間のそれとはかけ離れていたのだ。はち切れんばかりであった鋼鉄の肉体が、元々の4倍から5倍までに膨張。更には肌色が真っピンクに染め上がっている。最早肉体から発せられるオーラのエネルギーだとか、そういう問題ではない。肉体は確かにそこにあり、迸るほどの威圧感を纏いながら現実のものとなっていた。
バサリと翼が羽ばたくと、ただそれだけで強烈な突風が巻き起こった。舞桜がその背にある神の翼を広げたのではない。変貌を遂げたゴルディアーナのその背にもまた、天使…… いや、女神の如き桃翼があった。計8枚ある翼は、大きなを背を丸々隠してしまうほどに巨大。強靭で如何にもな重量感を視覚的に感じさせる大ゴルディアーナを持ち上げ、その羽ばたきで飛行を可能にしてしまうのではないかと錯覚させる。頭の上に天使の輪まで飛んでいるのは、一体何の冗談なんだろうか? 恐らく、この場にいる皆が分からぬ事だ。
「ハハッ…… 本当に人間?」
「いいえ、超人よん(はぁと)」
ゴルディアーナがツインドリルを揺らしながら、相変わらずな野太い声で答える。金糸を編んだような髪色だけは元来の色のままのようで、そこは金髪だった。かえって不気味である。
「で、でっかい……! 元々2メートル以上はあったけど、これもう10メートルはくだらないんじゃないの!?」
「ん、新種の巨人族」
「刹那ちゃん、あれ味方だから斬っちゃ駄目だよ? おじさんとの約束だ。特におじさんを使って斬るのは言語道断だ」
「斬りませんよっ!」
敵側の舞桜もそうだが、味方側の動揺も相当なものだった。この場で平常心を保っていたのは、ゴルディアーナと死闘を繰り広げ、この慈愛溢れる天の雌牛(ローズイシュタル)・最終形態(ファイナルエディション)を誕生させた戦友のセルジュ。そしてゴルディアーナの可能性を信じ、このような姿になっても変わらぬ友情を心に宿している、親友のリオンくらいなもの。それほどまでのインパクトが、今もこの場を支配している。
「まあまあ、貴方がそこまで動揺しちゃうのも仕方のない事よん。何せここまでの究極の美を体現した者は、この世界が誕生して以来初めての事でしょうからぁ」
「そ、そう言われちゃうと返答に困っちゃうな。元勇者として、どの言葉が適切なのか全然分からないよ」
自らの美しさを確信しているゴルディアーナの姿は、一言で言えば筋肉の女神である。強烈な顔と髪型はそのままに、肉体の造型も形としては大して変わっていない。ただ、そのサイズと色合いと服装がおかしいのだ。自分が思った事を素直に口にして良いものか、舞桜の良心が葛藤してしまうのも止むを得ない事。刹那に至っては、こんなものと対峙しなくてはならない舞桜に同情までしていた。
「皆、少し下がっていなさいねぇ。今から、本気で動くからぁ」
「という訳さ。ささっ、プリティアちゃんの邪魔になるから、私達は退避するよー」
「えっ、ちょ、ちょっと!」
「エマ、お腹空いた。何かない?」
ゴルディアーナに全てを託したのか、セルジュはリオンのいるところまで皆を強制的に下がらせてしまう。刹那は一先ず指示に従い、エマは納得のいかない様子で、シルヴィアは既に別の事に興味が逸れていた。
「さぁ、随分と待たせてしまったわねぇ。この舞台のプリマドンナぁ、いよいよ始動よん。お相手ぇ、願えるかしらん?」
「もちろん、その為に俺は存在しているんだ」
今となっては見上げなければ、ゴルディアーナの顔を見据える事ができない。舞桜は改めて大剣を構え、戦いを再開しようと意識を集中させる。しかし、目の前には見据えるべき相手がいなかった。視界は全てがピンクに染まっており、まるでそのような色をした壁が眼前にあるかのよう。そしてその例えは、あながち間違いではなかった。
遠目に見ていた刹那の目からは、ゴルディアーナの巨体が弾けたように映った。ゴルディアーナがやられた訳ではない。むしろ、その逆。ゴルディアーナは攻撃に着手していた。残像がぼやけてその場所に残るほどに速く前へと飛び移り、移動していたのだ。
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(は、やっ……!)
やった事といえば、何の捻りもない単純なタックルだ。しかしながら、ゴルディアーナは単純に速かった。その巨体が信じられない速度で躍動し、舞桜でさえピンクの壁が突然現れたと誤認してしまうほどに。踏み込む第一歩から最高速度。壁のまま弾丸となったゴルディアーナは、大剣で防御をする舞桜を問答無用で轢き飛ばし、その衝撃で選定の間の壁へ深々と衝突させる。そして次の瞬間には、壁にぶつかった舞桜の眼前に桃色の女神が降臨していた。
「怒鬼烈拳・極(ドキドキスマッシュ・ダンク)」
「―――っ!」
次いで巻き起こったのは、2本の巨腕による猛打の嵐だった。壁とピンクの拳に挟まれた舞桜がウィルで応戦するも、ゴルディアーナの攻撃が止まる兆しは一向にない。拳が大剣で切り裂かれようと直ぐ様に再生し、次の拳が舞い降りる頃には完全な状態に巻き戻る。連打の速度はタックルの時と同様、目で追うにはあまりにスピーディー。気が付けば過ぎ去り、痛みを覚えるよりも速くに次の拳がくる代物。それどころか徐々にスピードアップして、更に嵐が強まっているようにも思えた。
「ふぅんッッッ!」
連打の中に紛れ込んだ、飛ぶ鳥を爆散させるようなアッパーカット。舞桜の顎部へ適確にヒットしたその攻撃は、壁を粉砕させながら彼を選定の間の一番上にまで無理矢理に押し上げ、そのまま天井に舞桜を埋め込んだ。時間にして十秒にも満たないこの束の間の出来事に、皆はただただ圧倒される。
「た、倒した? 倒しちゃいまいた……?」
「いいえん、まだよぉ」
ゴルディアーナの声に呼応するかの如く、天井に埋まった舞桜が猛スピードで降下を開始した。光の翼を広げ、大剣を真下に。幾千幾万もの星屑を放出させながら、地上にて対空体勢を取っていたゴルディアーナに再衝突。その際、大剣のウィルは剣というよりも、光の塊となっていた。
「なるほどねん、それが貴方の奥の手ぇ?」
舞桜の攻撃によって、ゴルディアーナの巨体が両断される。右肩から外にかけて、腕と足が斬り飛ばされる。しかし、再生は止まらない。瞬く間に失った部位が修復され、舞桜が言葉を発する頃には完全な状態にまで回復していた。
「……綺羅星(コズミキコニス)も耐えてしまうのか」
「貴方だってぇ、私の渾身の攻撃を耐えたじゃない?」
「なるほど、俺達の実力は拮抗していると?」
「ううん。地力でいえばぁ、今の私でも貴方には遠く及ばないわん。あれだけの攻撃を受けて尚、それだけ元気ってのが良い証拠ねん。だけどやっぱりぃ、本気の本気は出せないみたいねぇ?」
「……俺は本気だよ」
「いいえ、本気じゃないのぉ。全然マジじゃないのぉ。貴方、無意識に制御しちゃってるわん。察するにぃ…… 下手にその力を使って船を壊したらぁ、ケルヴィンちゃんとクロメルちゃんの戦いを邪魔する事に繋がっちゃう。それだけはしてはならない。したくない。そんなところかしらん?」
「………」
「その沈黙が答えかしらねぇ。でもぉ、このままじゃ埒が明かないかしらん? お互い、攻撃が通じないだものねぇ。私としてはぁ、このダンスを延々と続けるのも魅力的な話なのだけれどもぉ」
実際のところは違う。慈愛溢れる天の雌牛(ローズイシュタル)・最終形態(ファイナルエディション)の運用が可能な時間は、残り僅かなものなのだ。だからこそゴルディアーナは、自分ではない別の者に、この戦いの幕を落とさせようと考えていた。そして、その策は既に実行に移されている。
「人狼一体三刀流、影狼(かげろう)モード。そして発動――― 『模擬取るもの』」
人知れず、リオンは舞桜の影を踏んでいた。
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